身の回りを整理しています。

今日は完全に日記のようなブログですが、よろしければお付き合いください。

5月16日から、緊急事態宣言の対象地域が全国9都道府県に拡大されましたね。兵庫県も引き続き緊急事態宣言中です。

ゴールデンウイークなど、お出掛けできない長期休暇は二度目となり、巣籠りに慣れてきた方も多いのではないでしょうか。

私は、「お出掛けせずにどうやって過ごそうか。」と頭を抱えていた一年前と異なり、今年は「おうちの中でどんな楽しいことをしようか。」という思考で過ごしています。

この思考、似て非なるものでして、前者は「お出掛けしたいのにできないから仕方なく自宅で楽しむ方法を考える」という発想方法であるのに対し、後者は「せっかく与えられたおうち時間を活用し、普段ならできないことにチャレンジしよう」というものです。

外出できないという状況は同じですが、思考する姿勢が、前者は「守りの姿勢」であるのに対し、後者は「攻めの姿勢」です。

 

なんだか、冒頭からブツブツ書いてしまいました(笑)

で、私は、ゴールデンウイークから引き続き整理整頓に取り組んでいます。

いわゆる断捨離ですね。

実は、一年前のこの時期も断捨離に取り組んでいました。

なんだ、一年前と同じじゃないか、と突っ込まれそうですが、前述のとおり、同じ断捨離でも一年前とは姿勢が異なりました。

そこで今日は、整理整頓の変化について書いていきたいと思います。

一年前の断捨離は、「モノを減らすことそれ自体」を目的としていました。

手元がいっぱいで、とにかくスッキリしたかったのを覚えています。

結果として、一時的にモノは減ったのですが、半年後にはリバウンドしてしまいました。

一方で今回の断捨離は、「モノを整理し今を心地よく暮らすこと」を目的とし、今必要なもの、これから必要なものだけを残して整理しています。

 

処分したモノの例としては、小学生の頃両親に買ってもらった、30年物の電子ピアノ。

よくぞ30年間も働いてくれたと思うほど、長持ちしていました。

廃棄の準備をしながら、さまざまな記憶がよみがえりました。

 

昔、忙しくしていた母に褒められたくて、食事のときにクリスマスソングを弾いたなぁ、とか。

受験生になり、弾かなくなって置物と化してしまっても、枕元でずっと寄り添ってくれたなぁ、とか。

一人暮らしを始めて、実家から出てしまっても、両親はよく捨てずに保管してくれていたなぁ、とか。

娘たちがピアノを好きになるかわからなかったので、とりあえず実家から電子ピアノを運んできて、「このピアノで頑張って練習したら本物のピアノを買おうね。」と約束したなぁ、とか。

 

電子音の、いわゆる電子機器の楽器だったけれど、娘たちは取り合って練習してくれました。

娘たちには「まだ捨てないで!」と言われたましたが、この場所を空けなければ、来年小学生になる次女の机を置くことができません。

正直なところまだ心残りがありましたが、次のステップに進むために、お別れすることにしました。

お別れの日、娘たちは泣きながら「今までありがとう。」とピアノに伝えてくれました。

その言葉を聞いて、グッと目頭が熱くなりました。

 

モノを整理すること。

それは、今を生きるために、モノと過ごした「思い出」にけじめをつけることなのだと、今回の断捨離を通して気づきました。

役目を終えた電子ピアノは、「不用品」となりましたが、私と、娘たちと時間をともにし、その役割を全うしてくれたのだと、感謝の気持ちが溢れました。

モノと一緒に過ごした思い出がかけがえのないものであればあるほど、使わなくなっても、捨てられないものですね。

 

何かを捨てることは、他の何かを大切にする時間を増やすということ。

電子ピアノとのお別れ以降、心境に変化があり、自宅の片付けが楽しくて仕方なくなりました。

「部屋が混沌としているからとにかくモノを減らしたい」と思っていた一年前に比べ、今は「本当に必要なモノを大切にするために厳選したい」という気持ちで整理整頓しています。

片付けってこんなに気持ちよかったのか!と驚くほどです。

一年前リバウンドしてしまったのは、この「気持ちよさ」を感じないまま新しいモノを買い続けてしまい、結果として時間もお金も失ってしまったのだと思いました。

もちろん、大切なモノを無理に廃棄する必要はありませんが、次に進むために潔く整理することも、時には必要だと感じました。

これからは、本当に必要なモノだけ購入し、時間とお金、それから自分自身をもっと大切にしたいと思います。

  

お読みいただきありがとうございました。

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