4月から小学一年生になった長女は、4月7日の入学式と8日の登校日に小学校に行ったきり、以降は学童保育等で過ごすことになりました。
当初は宿題のなかった一年生も、5月のゴールデンウィーク明けに宿題が配布され、毎日宿題に取り組むことになりました。

愛情を感じた配布物
まず驚いたのが、毎日の計画表が添付されていたこと。
日々の宿題がわかりやすく明示されており、しかも平仮名で書いてありました。
これなら一年生になったばかりの娘でも、自分で「今日の宿題」を把握することができます。
また配慮を感じたのが、「14か」のところに、「じゅうよっか」と読み方が書いてあったこと。一年生なら読み間違えやすい単語です。
こういう細かな気遣いが、本人にとっても親にとっても有り難いんですよね^^
経験したことのない緊急事態の中、担任の先生方が情熱をもって考えを巡らせてくださったことが、配布されたプリントから想像できました。
とはいえ、それなりにずっしりしたプリントの量、、、仕事をしながら毎日こなすことができるだろうか?という心配が頭をよぎりました。

絶対「〇」をつけたい。
我が家が今一番手を焼いているのが、この「がんばりかあど」。
毎日取り組みたい項目が記載されているカードで、生活習慣の構築を目的としたものです。
「なふだ」など現状適当でない項目については配布された日に見直しをして、長女が好きな「りょうり」と「なわとび」を追加しました。
“几帳面”な長女は、この表のすべての項目に「〇」をつけたいと初日から頑張っていました。
目標達成のために努力することは大切なことですし、彼女の自信にも繋がればと思い、この一週間できる限り寄り添ってきましたが、我が家のライフスタイル上どうしても毎日の達成が難しい項目があったのです。
それが、「はやね」です。
私が仕事から帰って、夕食を作り、お風呂に入ると、大抵21時を回ってしまいます。
「21時30分までにお布団に入れば“はやね”できたことにしよう」と長女と話し合い、なんとか守れるように意識してきました。
「×」でもいいんだよ。
ところが現実は、21時30分を過ぎそうになる日も稀ではありませんでした。
長女は目標を達成できないことに憤りを感じ、次女に感情をぶつけるようになってしまいました。
そしてある日、ついに約束の時間を過ぎてしまいました。

「〇〇ちゃん、“×”がついても大丈夫だよ。」
高揚する長女に繰り返し言葉をかけたのですが、一旦沸き上がった感情はなかなかおさまりません。
「イヤ!絶対“〇”書くの!」
「“×”がついたら、次の日できるように気を付けたらいいんやで。」
「イヤ!先生に“〇”見せたいの!」
「“〇”を書くことが大事なんじゃなんやで。できた日とできなかった日を書いて、できなかった理由を話せれば大丈夫だから。」
「“×”はイヤなの!!」
何度説明しても、「嫌」の一点張り。
仕方ないので、伝え方を変えることにしました。
「ひとつくらい“×”がついても、先生怒ったりしないから大丈夫だよ。」
「・・・ほんと?」
「ほんとほんと!どうしてはやねができなかったのかお話ししたらいいよ。」
「先生、怒らないの?“×”があっても大丈夫?」
「そうだよ。できなかったのに“〇”をつけるよりは、“×”を書いて、どうしたらいいか説明したら大丈夫だよ。」
そう伝えると、納得した様子でゆっくりと“×”をつけていました。

「目的」を考える。
実際のところ、先生がどんなふうに対応してくださるかはわかりません^^;
けれど“完璧主義者”な彼女だからこそ伝えたかったことは、表面上“〇”で埋めることには意味がないということです。
この「がんばりかあど」は、何を学ぶためのものなのか。
その真意が、何割かでも伝わっていればと思います。
学年が上がるほど、今の学校教育ではテストの点数により個人が評価されやすい仕組みとなっています。
テストで100点をとることも大切ですが、社会に出た途端、その能力だけでは解決できない課題に遭遇します。
人生100年、刻々と変化していく時代に対応していく課題発見力と本質を見抜く力を身につけるのが、家庭教育の役割かもしれない。
そんなふうに思った、新米小学生ママの一コマでした。

宿題として持ち帰った朝顔の種が芽を出しました。
実はプリントを読む前に喜んで植えてしまい、「種の観察」をすることができませんでした^^;
種を掘り起こすことに難色を示した長女のために買い出しついでに新しい種を買い、その種で「観察カード」を書きました。
次回からはプリントを読んでから宿題に取り組もう思った母の反省も、備忘録として書いておきます(汗)
お読みいただきありがとうございました。