利己的or利他的

前回の記事で、「自分のために活動している」と書いたところ、こんなコメントをいただきました。

「人間は利他によって自分の幸福感が上がる。金治さんも、利己の前提に利他がある。利他があるから、利己になるんじゃないかと。」

なるほど~~と思いました。

私は「自分のため」だと思っている活動も、前提として「全体のため」を考えているんじゃないか、ということですね。

全体が良くなると自分も幸せを感じる、ということでしょうか。

確かに、いくら自分が元気でも、家族が元気じゃなかったら悲しいし、大切な友人が悩んでいたら、自然と声をかけたくなりますよね。

相手が笑うからこちらも笑顔になるのであって、相手を笑わせるため自分も笑う、というですかね。

なんだかこんがらがってきました(笑)

言葉をこねくり回すと難しく感じるのですが、子ども達を見ていると、感覚的には“当たり前”のような気もしてきました。

例えば、私が家で難しい顔をしていると、子ども達から決まって「お母さん、どうしたの?」と尋ねられます。子どもって本当に敏感で、私が暗い顔をしていると、何かあったんだとすぐにばれてしまいます(笑)

また逆もしかりで、私が鼻歌を歌っていると、「お母さん、なんか嬉しそうだね」と声をかけてくれます。

子ども達に人生を楽しんでもらいたいからこそ、まずは、母が人生を楽しむ。そのために、「自分を大切に扱う」。

そうすることで、結果として「家族と一緒の時間にご機嫌でいられる」のかなーと思います。

つまり、利己=利他であり、自分のため=人のため、なのかもしれません^^

今まで、利己と利他は対義語だと思っていたのですが(辞書で調べると確かにそうなのですが)、対比して使われる言葉は、概念的には「=(イコール)」であり、円のようにグルグル循環しているのではないか、、、そんなふうに思いました。

 

世の中にあるたくさんの対比関係に、=(イコール)をつけてみると、

男=女、高齢者=若者、市民=職員、政治=行政、教員=保護者、、、

 

な~るほど、それぞれ「立場」に過ぎないのであって、場面場面での「意見」は対立したとしても、「立場」として対立する必要はまったくないし、一人の人が同じ立場を担うこともままあるなぁと。(例えば、母であり、先生という仕事をしている、とか^^)

その境界を越えることができるとすればやはり、「コミュニケーション(言語も非言語も含めて)」による「相互理解」なのかな~と、改めて思いました。

長女、精務賞を受賞!!やったね^^

周りがハッピーなら自分もハッピー^^

自分がハッピーなら周りもハッピー^^

そんな循環がつくれるよう、今日もハッピーに過ごしたいと思います。

 

お読みいただきありがとうございました。

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