アートの本質と、執筆活動のご報告

最近は、「アート」という言葉の意味をずっと考えていました。

「デザイン」や「アート」という言葉が「まちづくり」とドッキングして使われる機会を頻繁に目にするようになりました。

「デザイン」も「アート」も表面的な意味は理解できるのですが、その本質は何なんだろう?と。

「アート」って、そもそも何だろう?と。

私には物事を考えるリズムがあって、そのリズムに沿っていないと言葉が腑に落ちないのですが、目の前の問いとは一見無関係な体験をすることで、頭で考えていた問いに対する答えが腹落ちする、なんてことがけっこうあります。(この部分はもしかしたら独特なのかもしれません。←うっすら自覚あり笑)

で、今回も例のごとく無関係な体験により「アート」の本質が自分なりに言葉にできたので、書いていきたいと思います。

「アート」とは、「美」なんだと思います。

見るものを圧倒するほどの、「美」

個や自我が付け入るスキのない、「美」

個や自我が無意味に感じられるほどの、「美」

そういう圧倒的な「美」を前にしたとき、自分は全体の一部でしかなく、ただそこに存在しているだけで良いのだなぁ、と思いました。

人類は、その時その時で必要に応じて進化してきました。

恒常性を持ち、変化に対して「怖れ」という感情を抱くにも関わらず進化してきたのは、滅亡しないために他なりません。子孫の命を後世に繋ぐために、人類はその時々の必要性に応じて変化してきたんですよね。

そして今、急速に変化する時代にキーワードの一つとなっているのが、「アート」であり、「美」。

例えば、絵を描くことが好きな人は絵描きになり、写真が好きな人はフォトグラファーになり、言葉を使って「美」を見出す人は小説家や編集者になり。

建物に「美」を見出す人は建築家になり、教育に「美」を見出す人は先生になり、まちづくりに「美」を見出す人は公務員や政治家、ソーシャルプロデューサーになり。

他にも、思考整理や体系化に「美」を見出す人は、コンサルタントになるのかもしれませんね。

ここに挙げたのはほんの一例ですが、そうやって自分が好きなことに没頭し「美」を追求した先に「職業」があるのだなぁ、と。

教育系のメディアでは、「先に職業を決めるのではなく、何をやりたいかを考えた先に職業がある」という主旨の発信も多く目にするようになりましたが、そういう意味だったんだなぁとわかりました。(私なりの解釈です。)

そこで今日投げ掛けたいのは、「何に美を追求しますか?」という問いです。

私は、人って本当に美しいなぁ、と最近思うんですよね。

落ち込んでいる姿も、悩んでいる姿も、怒っている姿も、泣いている姿も美しい。

だから私は、「人の美しさを表現すること」に美を追求したいなぁ、なんて思っています。仕事でも、それ以外でも。

その先に、その文章を読んでくださった誰かの新たな一歩に繋がれば、とっても嬉しいです。

今年6月にNPO法人二枚目の名刺×公務員プロジェクトで初めてインタビュー記事を執筆してから半年。

私のもう一つの軸である「姫路」を舞台とした執筆活動をスタートすることになりました。

女性が手掛けるジンジャープロジェクト~姫路生姜の復興を目指して~(前編)

http://ilovehimeji-project.net/2018/12/02/shimotsuchinobu_1/

笑顔を届けるジンジャーケーキに(後編)

http://ilovehimeji-project.net/2018/12/03/shimotsuchinobu_2/

初回のインタビューでは、販促活動に社会的意義を見出した女性を取材させていただきました。地域を愛し、まちに“恩返し”したいという下津さんの美しさが、少しでも伝われば幸いです。

(半袖、、、取材から記事の公開まで数か月を要して申し訳ありません^^;)

妻になり、母になっても、こうして新しい体験をさせていただける環境、このような場を設けてくださった周りの人々に、感謝しかありません。

凹むことも多いですが(汗)、それも今の自分。

そっと、抱きしめていきたいと思います。

お読みいただき、ありがとうございました。

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